今から4年前の僕は井の中の蛙だった。 東銀座に7坪半の小さな小さなHair Roomの中で毎日を過ごし、自分は何者かわからなかった。
小さな世界にいると、自分が大きくなったように思え、発言も態度も傲慢寸前..いや、超傲慢だったのだろう。
そんな自分を思い出し、もうそうはなるまいと書き留めておこう。
超傲慢だった美容師三浦
今思い出すたびに恥ずかしくなるようなエピソードが何個も出てくる。 4年前はそんな仕事をしていた。
例えば、外の看板。奇抜さを際立たせる為にあえて批判的な内容を書いていた。 内容は…
・当店のカットは長時間を要する為時間が気になる人はこないでください。
・わがままな人は来ないでください。
・ヘアスタイルにこだわる人だけ来てください。
みたいなことを羅列していたように記憶している。
は、恥ずかしぃ〜〜 なんたる傲慢
さらに、ニューヨークドライカットを始めたてで心に余裕が無くなり、Hair Room以前から何年も何年も通ってくれていたゲストにも些細な事で失客のオンパレード。
これじゃなきゃダメだ!
そんなのやらないほうがいい!!
本来はニューヨークドライカットはとても自由なカット技法なのに、何故か僕は凝り固まっていた。
そんな感じでゲストへの感謝の気持ちも忘れていたのかな。 感謝はいつも意識していたはずなのに肝心な仕事ではそれが出ていなかった.. 1日1人怒らせていたような。 毎日がキリキリしていた。
1日1膳ではなく1日1怒
は、恥ずかしぃ〜〜 なんたる傲慢!!
今思えば自分の技術力の無さから、できるスタイルを押し付けていたのかもしれない。 押し付け…あるゲストから言われた言葉であった。
また、他の美容師についても批判していた時期でもあった。
あそこのカットはどうの、とかこのカットじゃあスタイリングはキマらないね、とか
自分の技術の向上はそっちのけで、他の美容師を批判する事で自分を優位に見せようと必死だった。
は、恥ずかしぃ〜〜 なんたる傲慢!!!
はっきり言って美容師としても人間的にも恥ずかしい人だった。
そんな自分に転機が訪れたのは2016年10月18日の、あのヘアショーを見た時だった。
<2016年ニューヨークドライカットEijiと講師陣の両国でのスタイルコレクション>
これは本当に驚きの連続で、Eijiさんのカットステージはもちろんのこと、講師陣の作ったヘアスタイルとこだわりや想いに圧倒され、日頃の自分の仕事は一体なんだったのだろうかと打ちのめされた瞬間だった。
その後、ニューヨークドライカットの中心サロンである広尾ワークスのM社長に自分も講師陣に入れて頂きたいと懇願し、講師陣に加えてもらった。
あれから3年の月日はあっという間だった。ニューヨークドライカット講師はやることが多く、講習やマンスリーライブ、ミーティング、講師陣の勉強会、広尾でのサロンワーク、と今では月に5〜10回は広尾ワークスに通う事に。
ドライカットの講習では先輩講師と共に、美容師である受講生にカットのアドバイスをさせて頂いたり、恥ずかしい自分の過去から今までの変化を赤裸々に話す事もある。
講習生の美容師さん達は一度ニューヨークドライカットの門を叩いたならば、既に仲間であり同志である。
・ドライカットが好きで好きでしょうがないけど、今のお店ではやらせてくれない。
・お客様にドライカットをしたいけど、料金を上げることに躊躇する。
・技術力が無いからお客様にドライカットでカットできない
など同志の悩みはそれぞれだ。
僕は美容師としてこのままではいけないと思い、ニューヨークドライカットの門を叩いた。
友達に連れてこられて、ドライカットを見たらその瞬間虜になった。
美容師をやめようかの瀬戸際で偶然知った。
始めるきっかけも皆違う。
でも、心のどこかで『美容師はこんなもんじゃない』と思っていたはずだ。
僕は限りなく受講生に近い講師である。受講生に近い経験は短期間ながら沢山してきたつもりだ。
悩んでいたり、もっと進化したい美容師の手助けになりたい。 そして僕自身もっと進化したい。
ニューヨークドライカットに関わる全ての美容師は美容師に対してそんなことを思っているのだろう。
なぜならニューヨークドライカットは”人を感じて初めてカットできるから。
最近、「三浦君は変わったね」と多くの人から言われる。
僕が美容師として生まれ変わったきっかけのニューヨークドライカットスタイルコレクションが2019年10月29日(火) 両国である。
今回は講師陣の1人として出演もさせて頂く。
来てくれた美容師さんが、自分のように何か変わるきっかけになれるようなヘアショーにしていきたい。
美容師同士で技術の切磋琢磨をしていけることに喜びを感じ、生きがいになっている。 またそんな輪に新しく入ってきてくれる美容師を待っている。
お客様の為に、全ての美容師の為に。
三浦