綺麗なラインのボブはどう考えてもCGで作った写真だと思っていた。
だってどうカットしてもカットラインはガタガタで綺麗にならなかったから。
くせ毛はパサパサでそれ以上は望まないと思っていた。
だって髪質がそうなんだから。
それが今は変わってしまった。
綺麗なボブ=CGから ボブは綺麗じゃなきゃ許されない に変わった
ボブが超嫌いだった。何故なら綺麗にカットできなかったから。 ボブはラインが命であるが、そのラインがどう切ってもガタガタになってしまうのが常だった。
だからゲストにボブにしたいと言われた時でも違う提案をしたり、切ったボブのラインに目がいかないようにパーマとセットにしてクシャクシャにしたりしていた。
もちろん、カットってそんなもんと思っていたし、綺麗なボブのラインは切り終わった後に写真でCGのように加工してラインを美しくしているものと思い込んでいた。
それがニューヨークドライカットを勉強し始めてからというもの、ボブは絶対に綺麗なラインじゃなきゃ自分が許せなくなった。
綺麗なボブを実際に初めて自分の目でライブで見たからだ。
今はボブをオーダーしてもらったら、腕をまくって絶対に綺麗に切ってやる!と静かに息を巻いている。
くせ毛は面倒な髪だとザックリ仕事していた私
カットが大好きでもなかったし、あえて言えば流れで美容師になったようなもので特に仕事への思い入れが強かったわけではなかった。
カット時間は短ければ短いほどゲストをはやく帰す事ができ、次のゲストを入れられてお店を回転できる。
30分→20分→10分→5分
髪が少ない人は10分1000円のカットよりも早くなってしまった。
時間が早く終われば良い。出来上がりは二の次、と。
今でこそ”くせ毛”への思い入れは強いが、当時はくせ毛なんて面倒だ。切っても形にならないしガッツリ切ってバサッと梳く、それでヨシみたいな考えで仕事していた。
くせ毛はもともとパサパサの髪だからブローしたってパサパサのままだし、ヘアアイロンで伸ばす他に選択肢はあるかよ!縮毛矯正やろうよ!と思っていた。
実際当時はくせ毛のゲストは全体のゲスト数の5%もいれば良い方で、その5%のゲストを面倒な髪だと感じていた。当然仕上がりもアベコベ、デタラメもいいとこで、仕上がりを鏡で見せる事も嫌だった。
でも、くせ毛ほど綺麗にカットしてあげたら劇的に変わる髪質はない事を知ってしまった。
理屈でも理論でもない。ただただ綺麗に切りたい。その僕の思いに呼応するようにくせ毛が綺麗に変化していき、くせ毛のゲストが増えていった。
パサパサの髪の手触りはマイルドに。
ボアボアの毛先は妖艶な光を纏うカールウェーブに。
ヘアスタイルとしてのシェイプもハッキリと。
くせ毛がまるでパーマをかけたように変化した。
そんな急転直下の自分の仕事ぶりだが、今は毎日カットの事で頭が一杯になっている。
いわゆるハマった状態なのだろう。
自分のカットの常識が180°変わったのはニューヨークドライカットに出会ったからだ。
僕はもっともっとカットのうまい美容師になる。
ニューヨークドライカット技術を使って美容師三浦 和幸の感性を来てくれたゲストに存分に注ぎ込んでいきたい。