Hair Roomのニューヨークドライカットは
自分で言うのも何だが
ヘアスタイルのクオリティが高い。
お世辞抜きに客観的に見てもそう思う。
なぜHair Roomのカットはクオリティが高いのか
まず、質感だ。
クオリティの高いヘアスタイルは質感が良い。
質感の悪いパサパサした感じのヘアスタイルは魅力に欠ける。
これはどうしようもない事実だが、写真や画面上ではわかりにくい部分だ。
写真や画面上であえていうなら髪に当たる光の反射でぼんやりとした艶感がある。
このぼんやりとした浮遊的な艶感は毛が柔らかくカットできていないと出てこない質感でもある。
まるで粉雪が積もっていくようなフワフワした質感。
ヘアスタイリストの仕事のこだわりが強い
仕事が生きがいみたいなところでもあり、日々ヘアスタイルについて研究している。
Hair Roomは三浦もリオの2人のスタイリストしかいないが、さっきのヘアスタイルはこうだった、あそこの部分はもっとこうしたほうがいいのでは?とお互い遠慮なしに伝え合う習慣がある。これは毎日の事だ。
1人で仕事していては、自分の世界に閉じこもり例えうまくいっていない箇所があったとしても気が付きにくい。 ヘアスタイルのこだわりが強い2人ならお互いに遠慮や謙遜が無ければ成長できるポイントを指摘し合える。
だからカットがうまくなるのは当然だ。たまに言いすぎて激論に発展し、お互い数日口を聞かなくなる事もあるほどだ。
でも、それは相手が嫌いとかいうネガティブな感情からの話ではなく、もっと成長する為にビシバシ言い合ってお互いに負荷をかけている状態なのだ。
本来休日の日に時間とお金を使ってカットの講習に頻繁に足を運んでいる。
人が休んでいる時に、自分への投資として大切な時間とお金を使ってカット技術を高める為に講習に参加している。直接ゲストに関係するカット技術を習うのだ。
または講師としても活動しており、インプットとアウトプットのスピードが早く、連鎖的に急成長している。
技術の向上はなかなか目に見えて分かりにくい部分もあるが、そんな小さな変化に喜びを覚え、ハマってしまっている。
カットが上手くなる為なら何でもする
日本一カットのうまい美容室になりたい。その為ならなんでもする覚悟はある。
が、悲壮感的に言うのではない。心底仕事で自分の成長を楽しんでいるのだ。
たまに美術館にでかけ、観音像の背中のスラッとした形、銅像のシェイプや曲線、絵画の髪の存在感の強さなどを確認し、仕事へのヒントにしている。
最近特に面白かったのは、釈迦像の羽織物のエッジと前下がりボブのエッジが似ていると気がついた事だ。
西欧の絵画に出てくる髪型はほとんどがくせ毛だという観点も面白い。 日本でこれだけくせ毛というものに対して悩んでいるのがバカバカしくなるくらいのくせ毛っぷりだ。
ただ髪質は柔らかそうだから、日本人の髪は硬い事が多いので、質感を柔らかくするHair Roomのニューヨークドライカットなら完璧だ。
もう、時代的にもくせ毛は当たり前になってきている。 日本的教育のみんな一緒、こうで無ければならない論とはお別れしたいものだ。
みんな違うからだ。
美容室ビジネスはいろいろある。
最近では経営者が美容師でなく、他の分野の人だったり、激安店、普通店、高級店
ヘアカラー専門店、グラデーションカラー専門店
エステやネイルのトータルビューティー店、個人店、大型店
カット専門店はあるにはあるが、激安店の部類になるお店がほとんどだ。
Hair Roomはどうなんだろうか。
あえていうなら、髪になんらかの悩みがあって、それをカットでもっと良くしたいと期待してきてくれている高級カット専門店みたいな感じかな。 ヘアカラーも白髪染めをぼかしていれてみたり、デザインカラーをしてオシャレにみせたりする技術もある。
Hair Roomは髪の悩みのないゲストは来ない。髪に悩みがなければどんなカットをしようがなんとかなっているように見える。
で、Hair Roomのニューヨークドライカットがうまい理由だが
自分達に時間もお金も足にも負荷をかけて、自分の仕事を意識して興味深々で毎日試行錯誤してトライアンドエラーを繰り返しているから
うまくなるのは当然という、当たり前の結果ということだ。これはどんな仕事に対しても当てはまることなんだと思う。
現実は行動でしか人は変わらない。だから僕も行動し続けられるように気をつけたい。