情報化社会に思うこと。
便利な世の中
ネットで検索すれば
情報のシャワーを浴び続けられる。
情報を知って
頭の中でできたつもりになる。
わかったつもりになる。
しかし
頭でわかること。
実際にやってできること。
この2つは
全く次元が異なる事を
知らなければならない。
さもなければ、
歳を重ねた後に
からっぽの人間になってしまい
後悔することになるだろう。
自分の足で見て聞いて、体験すること。
実際の体験に勝るものはない。
情報は知っていても
使わなければ何も意味を成さない。
情報はあくまで情報に過ぎない。
知っている知識をひけらかして
一体なんの役に立つのだろうか。
実際に被害の及ばないネットの中での
安全地帯に身を置きながら
他人を攻撃し
自分の優位性を確立することの
哀れな事よ。
情報より、情熱だ。
他人を攻撃するのは
自分自身が前に進んでいないから。
自分を律し
本気で日々成長をしようと
もがいている人は
いい意味で周りの人の事は気にしない。
情報を作るその人に
情熱を感じるかどうかが
本物の情報を精査する上での指標
になるのである。
ただの情報通みたいなのに
惑わされては不幸である。
自分が今やっている事が全てだ。
自分の足で見て聞いて、体験する。
自分の足で稼いでいくのは、
時間との闘いでもある。
頭で理解するだけの情報収集なら
たった一日でできる。
しかし、
自分で時間を作り出し
お金を投資し
重い体をよっこいしょと鼓舞し行動する
そのように実際に行動を起こしている人は
人を批判しているヒマはないのである。
人のやっている事をこき下ろし
自分を優位に立とうとするものの多きを
恥ず。
否
自分に芯(信念)が無いから
であろう。
「信なき言論、煙の如し」
この情報化社会に飲まれて惑わされ
自分を見失ってしまわないように。
自戒の意味を込めて。