生を考えるとき
死を考えることは
避けられない
生と死は裏表の関係で
因果であり
どんなに元気でも
どんな良薬があっても
どんなお金持ちでも
必ず訪れるのが死だ。
君に理想の死に方はあるかい?
理想の死に方とは
理想の生き方とも
捉えられる。
たった一度の人生
どんな風に生き
どんな風に死んでいきたい?
理想の死は”殉職”
僕も理想の死に方は
”殉職”
職務中に死ぬ事だ。
職業、美容師。
ゲストの髪を切りながら
『あぁ、今日のカットは
ラインが綺麗だけど、
テーパーがちょっと違うかな?』
なんて
ああだこうだ
思いながら
倒れたい。
生涯現役の美容師でいたい。
髪を切り終わってから
「ふぅ 」
といった感じで死ぬより
髪を切る事に夢中になっている最中に
フッと意識を失い、そのままお陀仏。
髪を切っている最中
カットの途中での逝くのだから
目の前に座っているゲストは
たまったもんじゃない。
「どーした、おい!!
しっかりしろ!
ふざけんな!
死ぬんじゃねぇ!!!
…
私の髪どーすんだよー
頼む
起きて!
私の髪を〜〜」
そんな必死な形相のゲストを横目での
殉職。
あぁ
なんて迷惑な死に方だろうか。
目の前に人が逝き
死なないで!
私の髪どーすんだ!?
これも面白い。
まるでコントのネタ。
まさに伝説。
まさかが実現。
想像しただけで笑える。
ゲストも
一生ものの話のネタになる。
もしその時は
僕をそのまま放置せずに
警察や救急車を
呼んでくれればありがたい。
その代わり、
お代はいらない。
死は結局のところ
最後の最後は
一人で死ななければならない。
だから
周りに従って
群れて
安心して
そんな生き方なら
生と死が
裏表で隣合わさっているなら
最後の最後の一人で死ぬ事が
怖くて怖くてしょうがなくなる。
自分の意見は
周りがどうあれ言い切る。
確信と行動を主体性をもって
やり切る。
そういう生き方なら
最後の一人での死は
もしかしたら自然と
受け入れられるのかもしれない。
僕はまだ
死んだ事は無いが
どう生きたかで
死ぬ時に
幸せな人生だった
と回想できるか
不幸な人生だった
と悔恨の念に苛まれるか
決まるとような気がする。
臨終只今にあり。
人間の生きるリミットは
目に見えないだけで
厳然と存在する。
であるならば
その無駄な時間
暇だと嘆いている時間
もっとよく生きるよう使おうよ。
人の悪口ばかりじゃあ
なーんにもならないし
むしろ
自分の格を下げるだけ。
人を羨んでばかりじゃあ
なーんにもならないし
むしろ
自分が惨めになるだけ。
もっと自分の内に問いただしてほしい。
自分ももっと自分を問いただしたい。
どう今を生きて
どう死んでいきたいのかを。